土日は仕事とかしないって5月末に宣言したのに、結局原稿書くために学校に来てる。
で、素面ではまともに書ける状態ではないのでアンフェア見て、適当にキーボードをたたく。
アンフェアの感想はまた全部見終わったら一言だけ書く。
で、今書いている原稿なんてどうでもよくて(暴論)、それより個人的に興味深い話になったのでメモついでにここにおいておく。
ぼくがぼくをぼくたる表現として
成果ゼロです
— 水 (@ma_aqua13) 2014, 6月 14
と言うことがある。これは全く間違っていなくて、現にぼくは論文を全く書いて(アクセプトされて)いないので、これである。
原稿がアクセプトされるまでが研究成果
— 水 (@ma_aqua13) 2014, 6月 14
で、ぶっちゃけ業績とかどうでもよくて、このあとちょっと話した内容が興味深い。
研究者をロールプレイしすぎる必要ないと僕は思っていて,結局自分の中で誰かに貢献できたことが確かめられたかどうかって言うところも結構重いと思う
— 24歳男子大学院生 (@s_kazune) 2014, 6月 14
そうなってくると国内の企業の人とかに露出が多い場で発表したりすることはいいことだと思うし成果だと思う.
— 24歳男子大学院生 (@s_kazune) 2014, 6月 14
いくら偉そうなことを言ってても,結局コミュニティから認められなければ,多くのユーザから使われなければ,お金に結びつかなければ,近々の「成果」にはならないのだろうなぁ.人材育成という見方はまぁ間違ってはないけれど....という気持ちに勝手になってる.
— ティーンズ (@teenst) 2014, 6月 14
そもそも成果とは何かと言ったことを考える人間が出てきていることじたいに意味があると思う
— 24歳男子大学院生 (@s_kazune) 2014, 6月 14
『成果』って何、って話だけど、別に成果って自分がそれを成果と認められれば何でもよくて、学会だったり、物販だったり、DL数だったり、再生数だったり、そこに自分が価値を見いだせれば別になんでもいいよね。
— 水 (@ma_aqua13) 2014, 6月 14
自己に対する「成果」として「業績」を考えると、研究がうまくいかなかったりしたときに辛い。
研究そのものは(多くの場合)人生そのものではないので、人生を生きる上での「成果」が「業績」でない(なくてもいい)ことを理解しないといけなくて、これはきっと視野が狭くなるほど理解しにくいことだと思う。
そもそも、研究ができないくらいで働けなくなったり息ができなくなったり死んだりしない。
成果ゼロです、とよく言うものの、それでも別に死にはしないし、なにか問題があるわけでもないし、別にどうでもいいか、と思うようになった。
— 水 (@ma_aqua13) 2014, 6月 14
大学院をやめるって話だけど、研究した結果自分にとって価値が有るものが得られないと思うんならフツーにやめるのがいいと思う。
— 水 (@ma_aqua13) 2014, 6月 14
夢が業績と直結していない場合*1、そこそこに自己の成果を優先したほうがいいかもしれない。
ぼく?ぼくの夢はニートですが、まだ人生の成果は見つけられてません。難しいね。
いろんな人間がおりみなそこそこ働いていた(おわり)
— 24歳男子大学院生 (@s_kazune) 2014, 6月 14
働いてなかった(おわり)
*1:あ、研究者になりたい人は研究がんばって業績残しましょう