超言理論

特に益もない日記である

休める時に休めるのが一流?

かどうかはわかんないけど、体調を崩すようでは二流な気はする。
年末から続いて、実はあまり体調が良くなくて、ここ2〜3日くらい休んだりちょっと良くなったりを繰り返したりしていた。
明日*1から、ちょっと学会出張で韓国へ行くので、念の為に過分に療養をしていたというのもある。

昔は時期が悪ければ1,2日休むことすら許されないスケジュールの時もあったので、そう思えばちょっと休もうで休める最近はまだましかもしれない*2


全く持って話は変わるけど、年末年始に見たDVDの記録をとっておく。
ダブルフェイス 潜入捜査編・偽装警察編

ダブルフェイス ~潜入捜査編・偽装警察編~ [DVD]

ダブルフェイス ~潜入捜査編・偽装警察編~ [DVD]

よくある刑事モノの映画だけど、ヤクザの組員が警察官僚に、警察官がヤクザの幹部に入れ替わっているダブル潜入を題材にしている。
これ、ナンバリングも前後編指定もないけど、潜入捜査編が前編、偽装警察編が後編になっているので注意して借りた方がいい。
ストーリー展開はよくあるスペクタクル映画っぽいんだけど、潜入している警官の「善の志向を持ちながら、悪事に手を染めている自分」の葛藤と、潜入している組員の「悪の土台を持ちながら、堂々と自由に日の当たる社会で暮らせる自分」の開放感・羨望のそれぞれのせめぎ合いがよく描かれていると思う。
最終的な結末は、個人的にはあまり好きではないんだけど、映画自体は潜入がバレるかバレないかのギリギリ感、個々の主人公の葛藤が見ていて飽きなかった。
あと、全然関係ないんだけど、香川照之ってやっぱりこういう警察官とか官僚の役が似合う。


男たちの大和

男たちの大和 / YAMATO [DVD]

男たちの大和 / YAMATO [DVD]

(美化を含んで)渋くてカッコイイ(ちょっと爽快な)戦争もの、くらいのイメージで借りてきたら、全然違った。
舞台は現代で、現漁師で元大和乗組員だった若年の下級士官(要するに少年兵みたいな)の神尾が、大和沈没の海域まで行きたいという内田という女性と出会うところから始まり、語り回想を通して大和がどんなもので、どんな時代で、どんな生き方をしたのかが語られていく。
英雄でも、犠牲者でもない、3333名の男たち、というコピーは確かにその通りで、乗員は各々が各々の人生を生きており、それが誰のためでもなく自身のためであり、自身の人生を全うするための選択であるというのが伝わってきた。
あと、こういう何かに乗って戦う系の物語は、たいてい乗り物の死で決着がつくんだけど、乗り物に乗っているのは人間だし、戦っているのは人間だというのを映像から感じた。
沈没する前にも人は死ぬ、沈没したあとにも人は死ぬ、沈没しても戦争は終わらない、それこそ戦っている人間が死ぬまで。


悪の法則

最初に見た感想は、意味がわからない。
弁護士先生がマフィアとつるんで、悪いことをし始めて、金の羽振りがよくなって、何故か反感を買って死ぬ、みたいな大筋はわかったんだけど、で?って感じだった。
仕方なかったので、解説を読んで、時間をおいてもう一度見なおした。

ストーリーはおおよそ最初に見た通りで、イケメンの実業家(?)で危ない仕事にも手を出してるブラット・ピットと弁護士先生がたまたま出会い、意気投合して、ちょっと儲かる危ない仕事と陽気でちょっとぶっ飛んでる感じのマフィアを紹介してもらう。
最初はあまり興味がなかった弁護士先生なんだけど、甘い汁を吸ったらどうにも辛抱堪らんくなってどんどん危ない仕事に出資するようになる。
お金が手に入るともっと欲しくなる。どんどん危ない橋をわたっているのに、自分は失敗しないと高を括ってる弁護士先生なんだけど…
周りは大体「俺は巻き込むなよ」とか「お前のことならお前の好きにしろよ」というので、好き勝手に手を出した結果、メキシコマフィアに目をつけられてしまう。だいたいみんな死ぬ、弁護士先生は生きてるっぽいけど、ブラット・ピットが殺されるDVDが隠れてる先のホテルに届いて死ぬほど辛い感じになる。
黒幕っぽい奴は作中に登場するんだけど、なんでこうなったのかは不明。いつもこんなことやってるのかもしれない。

作品全体を通してなんとなく言いたそうだったことは、「正しい道を生きろ」「警告はある、注意深く探せ」「選択には責任を持て、結果は受け入れろ」みたいな感じ。
メキシコマフィアと懇意の弁護士に弁護士先生が電話をして、何とかならないか?頼むよ?みたいなことをいうシーンが有るんだけど、相手は「人生をやり直そうなどということは、できないと理解するべきだ。お前はお前の世界を作った、お前が消えれば、お前の世界は消える。だが、死ぬ者にとって死は単なる世界の消滅ではない。死を受け入れても、世界が消滅することを受け入れることはできない。死ぬときに、やっと自分の人生が何だったのかわかる。」みたいなことを言う。
世界っていうのは選択のことなのかな。選択が現在を作った、死ぬことは現在が失われることであり、そして死を受け入れることは選択肢がないのを受け入れることである。
死は選択の結果である、だが、選択肢がないことは選択の余地すらないので、選択されていない結果を受け入れることはできない*3
選択肢がなくなった時、初めて過去の選択を振り返る。
なんか書いてて辛くなってきた。
今研究をするかどうかは、将来の結果なんだ。研究の結果を受け入れることは・・・できるかどうかはわからない。


推理作家ポー 最後の5日間

あ、わかる、江戸川乱歩を輸入した感じでしょ!?と思って借りたら、エドガー・アラン・ポーという人間は実在したらしい。
#映画のエドガー・アラン・ポーはデコにヒゲで奇抜な性格のちょっとぶっ飛んだキャラクターだったけど、そういう人物だったかどうかはわからない。
そして江戸川乱歩エドガー・アラン・ポーをもじって自分の筆名をつけたらしい。
不勉強が露呈する…
実在の人物をモチーフにしているだけあって、実在の小説や詩がたくさん登場するようだ。特に言及が多かった「大鴉」は読んでみてもいいかもしれない。
ポー詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)

ポー詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)

江戸川乱歩は少しだけ読んだことがあるんだけど、まさにエドガー・アラン・ポーの踏襲だったらしく、非常に似通ったエログロティシズム(?)を感じた。
生きたまま、死に瀕して、腐り、爛れ、失い、失われていく極限の状態が次々と事件として登場する。
自身の小説がそのまま実現するという、一種の見立て殺人のストーリーはよくあるとはいえ、主人公のポー自身が持つ狂気・悲愴が見立ての先の小説に埋め込まれており、それが再現されることの恐怖、また新聞に書いた物語がリアルタイムで事件として再現されていく様子は、単なる見立て殺人の流れをより動きのある物語にしていたと思う。
ただ、オチ、もう少し猟奇的な感じでも良かったんじゃないですかね…収束感の無さよ…誰だよお前…


とりあえず以上、またなんか思い出したら書くかもしれない。

*1:もう今日だ

*2:恥や外聞を気にしなくなって、無理です駄目ですできませんでした、というのを憚らなくなっただけかもしれない

*3:選択肢がないという結果は前の選択の結果では、とも思うが


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