超言理論

特に益もない日記である

「怒る」ことの難しさについて

そろそろM2は修論を書く時期で、研究室の運営や各研究班での仕事を後輩に引き継ぎ、自分の研究に専念するようになる。
私のいる研究室は、特に学生室やゼミ室の運用については学生主体で、先生もあまり口を出さずにやっている。
当然、こういう運営に関する学生主体の仕事に先生が関与しないということは、それぞれの仕事は学生の善意というか主体性に任されていて、学生が皆で「誰のためでもなく助け合う気持ち」くらいで仕事をしている。
そういうわけで、各人の仕事や研究室での生活への責任みたいなものは細かく定められているわけではない。
当然、そういう環境でかつ人数が多くなってくる(コミュニティが大規模化してくる)と、いろいろなことが起こる。
中でも特に問題なのが「共有の器具やスペースの扱いが悪くなること」だと思う。あまり深くは言わないが、分かる人にはわかる、共に環境を共有している人がおそらく感じる、そういうことだ。

本題だが、こういった「研究に直接関係ないが、研究を進める上で共同コミュニティに所属するならば気にしなければならないこと」を意識できない人に注意ないし問題が起きたときはそれを怒(おこ)りたい。そう考えたときに、その「怒る」ことの難しさに直面する。どう難しいのかはっきりわかっているのなら対策も考え付くのだろうけど、どう難しいかを簡潔にはっきり説明するのも正直自分には難しいので、分かりにくいかもしれないけれど、整理のためにどう難しいか書く。

  • どこからどこまでがコミュニティの暗黙的ルールとして適正か?

「どこから注意していいレベルなのか」ということが、自分一人ではわからない。研究室全員で集まって明示的なルールを作ればいいのだろうが、明示的なルールが存在する環境は結構息苦しい。さらに言えば、今の研究室の環境は(こうして私は問題があるとは言っているものの)結構居心地がよく、良い方だと思う。これを明示的なルールにするときは、きっとたくさんの「いざ言われてみれば面倒くさいこと」を守らなければならない。
そして、明示的にルールを増やすことは、「現状からの悪化を防ぐ(リターン)」ことの代わりに「ルールを守る責任」を与えることになる。正直に言って、ここにリターンはあまりない気がする。また、仕事をする側の話をすれば、仕事のリターンはないのに(無いことはないのだが、それは「彼は研究室の雑務にも熱心で、責任感のある人間だ」という評価が付くとか、短絡的なリターンがないという意味で)、責任は重く生じる。
きっと他の人も問題だと思っているとは思うが、今までそういったことに対して注意や説教をしようとするのは自分自身くらいで、つまるところ現状にあからさまな不満を持っているのは自分だけだともいえる。これは、自分が我慢して、たとえば共有の備品の手入れをし、研究室の環境を改善するように努めれば、現状を維持できる。もしこのようなリカバーをするのが優秀な先輩や先生なのなら、その時間は大変なロスだと思うが、自分の時間ならそれはロスだと言えるだろうか(何となく、これは「誰かのせいで私の生産性が落ちている、責任を取るべきだ」と言っているようにも聞こえる)。

  • 正しく怒れるか?

たぶんこれが一番の問題で、仮に私の言い分が正しかったとして、それをうまく相手に伝えて、かつ、自分自身のうっぷん晴らしをしないでいられるか、という問題がある。
2年離れるとパワハラになるという話を聞いたことがあるが、力関係やグループの順位制は結構激しいもので、きっと後輩を怒ればそのパワーは大きい。特に私は口汚いので、過剰に圧を与えてしまうかもしれない。かといって、やんわりと注意することも難しく(実は、以前にも何度かお怒りのメールを送っているが、一向に改善しないので、このようなことを書いている。)、むしろ何度も口を出すことは逆にその行為自体がヒステリックで、事態とは直接関係ない研究室の学生にいやな気持を持たせかねない。

  • 怒りたくない

難しい理由とは少し違うかもしれないが、一応書く。
自身の気持ちの中には「問題を解決したい」「問題を起こしている人を咎めたい(うっぷんを晴らしたい)」そして「怒りたくない」の三つの気持ちがある。
一つ目は、おせっかいにも似ているがコミュニティ内の環境をよくしたいという気持ちが主で、ここに個人の意識はあまりない。
二つ目は、怒(いか)りで、個人の意識でもって問題を起こしている人を叩いて、今までのうっぷんを晴らしたい気持ちが結構入っている。これを表層化したくない、これは単なる自分の自己満足のための感情であって、全く研究室の環境を改善するためにも相手のためにも自分のためにもならないから。
三つ目は、恐怖で、半分は「正しく怒れないかもしれない事への恐怖」、もう一つは「怒(いか)りが表層化してしまうことへの恐怖」である。また、他人の目というのもここには含まれているかもしれない。自己中心的、権力的、パワハラ、総意に託けて牛耳ろうとしている…といった印象を他人に与えるような気がして、正直怒るのを避けたいと思う。

たぶん、これからまだ何年か後輩を指導したり、研究室で起きた何かに関わることもあると思うが、そうなったとき私は正しく相手を怒れるだろうか?
正しく怒るためにはどうすればいいのだろうか?


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